'95当時 ユーゴスラビアには内戦があり 現在はユーゴスラビアという国はなくなりました
クロアチア人とセルビア人が戦っていて 私のクラスにはセルビア人が4人居ました
1組は夫婦で 1人はインテリジェンスな香り漂う とても綺麗な女性 1人は知的そうな男性でした
夫婦の旦那さんは何か芸術関係のライターだったようで『黒澤の映画は素晴らしい』と映画の題名をいっぱい
言うのですが・・・黒澤監督の映画なんて興味の無い私は『ハア・・・ごめんなさい 映画は詳しくなくて・・・』と
言い訳しつつ 彼の意見を聞いていました
知的な女性はブロンド・ブルーアイの 本当に素敵な女性でした!
私が おにぎりを食べていると『食べてみたいわ』と言うので 作っていってあげましたが
『昆布入り』も『オカカ入り』も口に合わなかったようで 申し訳なさそうに『食べられないわ』と言いました
彼女に作って行ってあげたのを見て 他の生徒も『食べてみたい!』と言い始め
『1日で皆の分は無理だから 1日2人ね』と 暫くは 毎日 3人分のおにぎりを持って行ってました
アジアから来た人や 南米の人は『おいしい!』と喜んで食べてくれましたが
ヨーロッパの人は食べ物に保守的な感じを受けましたが・・・どうなんでしょうか?
彼女には 20歳の息子が居て 彼はボスニア・ヘルツェゴビナの最前線で兵士として戦っている と言ってました
年老いた母親と息子と3人で暮らしていたそうで 国では新聞記者だったそうです
どういう状況だか 聞けませんでしたが たまたま どこか外国軍のヘリか何かに乗るコトが出来
ユーゴスラビアを脱出できて カナダに来たようでした
彼女の自宅に1度だけ 遊びに行きました
今は 経済的には楽では無いだろうに とてもセンスの良いお部屋のインテリアで 彼女の知性を感じるお部屋でした
彼女は とても若いユーゴスラビア人の男性と一緒に住んでいました
きっと ユーゴスラビアに居たら 恋に落ちるコトなんてなかっただろうタイプの男性に 私には見えました
家族を常に心配して 海外で1人の不安な生活で 男性に頼らざるおえないのかも・・・と感じて切なくなりました
USAがセルビア側を攻撃したか 批判したかしたコトがあり その時彼女に
『日本は どちら側なの?』と真剣な切迫した表情で聞かれ 困ってしまいました
『USAが風邪を引いたら 日本が咳をするって言われているの 日本は常にUSAと同じ立場をとるしか無いの』と
答えましたが・・・答えながら『これが日本なのよね・・・』と 情けなかったです
自国のプレゼンテーションをする という授業がありました
彼女は現在の自国の紛争についてプレゼンしましたが
『長い歴史があって今 このような状態になっています そもそもは何が原因だったのか 私達にもわかりません』
と言った彼女の言葉が今も心に残っています
当時 イラクがクウェートを侵攻し 日本は多額の援助をしたにも関わらず
終結後の クウェートの感謝広告の中に日本は入っていなかった・・・というコトがありました
この時も ロシアの伯父ちゃんに『日本はお金だけだから』と嫌味を言われました
前々から『日本をバカにするなよ〜〜〜!』と思っていた私は『ココで一矢 報わねば!』と
『憲法第9条について』という題名で 日本は こういう憲法があるので 海外に派兵できません!
と プレゼンしたのです 『これで学校に来られなくなっても良い!日本を理解させてやる!!』と
一大決心をして したのですが・・・あの時の私のプレゼンはナンだったんでしょう・・・派兵しちゃいましたね 日本
このプレゼンの後 先生に呼ばれましたが こちらは覚悟の上!
向かい合った瞬間 先生は 私の気持ちが分かったようで『別に 何でも無いわ』と
この時 このユーゴスラビアの彼女だけ『あなたのプレゼンのレポート 読ませて』と真剣に読み直してくれました
(日本人の英語の発音は東欧の人には 分かりにくい時が多々あるのです)
この日から ロシアの伯父ちゃんは 私に嫌味を言わなくなりましたし
私に対するクラスメートの態度は 明らかに変わりました もちろん良い方にです!
もう1人のセルビア人の知的な男性は ユーゴスラビアの歴史を話しました
『1番大きな収容所はアウシュビッツ』と思っていましたが ユーゴスラビアに最大のゲットーがあったそうです
彼も私には好意的でした
ユーゴスラビアから来たセルビア人の人達は 全員 日本人にとても親切で良い印象を持っているようでした
この時 国連から明石 康代表が ユーゴスラビアに派遣されていたコトが大きな理由かも・・・
中近東の人達も 日本人には とても良い印象を持っていて 親切だったのに・・・
『国に対する印象』って 大事ですよね
今迄 日本人が築いてきた日本のイメージを 自衛隊派遣が壊しませんように・・・と祈るだけです